詩人 田中冬二の世界
当館と、心のふるさと「生地」を愛した詩人
心のふるさと、生地へ
わずか12歳で両親と死に別れ、東京の叔父の元で暮らすことになった冬二。何かにつけ厳しい東京の家とは違い、生地の祖父母はおおらかで温かく、ときおり帰ってくる冬二を迎えました。生地で過ごしたのは学校の夏休みくらいでしたが、祖父母の温もりを感じる生地を、自然ななりゆきで心のふるさととするようになったのです。
たなかやとの関わり
不遇な幼少年期の夏休みを、冬二はたなかやで過ごしていました。当館初代の田中菊次郎をふるさとの親父として慕い、父や祖父母のぬくもりを感じていたのです。
生前の冬二は「黒部の生地はいいところです。私は東京に住んでいますが、本籍は生地から離しません。あくまでも越中人として生きたいのです」と語ったといいます。

生い立ち
田中冬二(本名:田中吉之助)は、明治27年(1894)銀行員だった父吉次郎、母やゑの長男として福島市に生まれました。父の実家は、当館の分家にあたる生地の田中家です。母方の祖母は、安田銀行の創業者・安田善次郎の妹であり、冬二は幼少期に両親を亡くした後、東京の叔父・安田善助に引き取られました。
詩作の道へ
中学卒業後、銀行へ就職。多忙な傍ら詩作に励み、初めて投稿した詩「蚊帳」が雑誌『詩聖』に掲載されたことをきっかけに、本格的に詩の道を志します。8年間の苦心の末、第一詩集『青い夜道』を出版。「ほしがれひをやくにほいがする」とはじまる生地を描いた代表作「ふるさとにて」も、この詩集に収められています。

高村光太郎賞受賞
『青い夜道』で詩壇にデビューした後も静かに詩作を続け、67歳のときに発表した詩集『晩春の日に』で高村光太郎賞を受賞。その詩は分かりやすい言葉で綴られながら、洗練された独自の世界を表現しています。
西暦 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1894 | 福島県福島市に生まれる | |
1908 | 14 | 立教中学(現在の立教池袋中学校)へ入学する |
1912 | 18 | 『文章世界』に投稿した「旅にて」が特選となる |
1913 | 19 | 安田系第3銀行に入社する |
1929 | 35 | 第1詩集『青い夜道』発行、文学界で注目を浴びる |
1949 | 55 | 富士銀行本店人事部調査役を最後に退職する |
1962 | 68 | 『晩春の日に』で高村光太郎賞を受賞する |
1971 | 77 | 日本現代詩人会会長となる |
1980 | 85 | 東京で逝去 |